2009年7月27日月曜日

同志社大学で『ポチの告白』上映とトークセッション


 7月29日、同志社大学で映画『ポチの告白』の上映と高橋玄監督、筆者のトークセッションが行われる。同大学社会学部メディア学科の浅野健一教授(元共同通信記者)のゼミが主催する。入場無料(予約不要)で誰でも参加できる。

 会場は同志社大学が誇る寒梅館ハーディーホール。会場負けしない有意義なイベントとしたい。高橋監督と筆者のトークセッションは2時間を予定しており、映画のこと、警察やマスコミのこと、十分に話せそうだ。もちろん参加者からの質問も大歓迎。すでにゼミ学生から「日本の新聞は生き残れるのか」「裁判員制度が報道に与える影響は?」などという質問が寄せられている。

 夏休みでもあり、関西在住の方々には、ぜひとも参加していただきたい。

【プログラム】
7月29日
12時00分~ 『ポチの告白』上映(第1回目)
15時30分~        〃    (第2回目)
19時00分~ トークセッション

【会場】
同志社大学寒梅館ハーディーホール 京都市上京区今出川通り烏丸東入

【問い合わせ】
同志社大学広報課 075-251-3120

2009年7月20日月曜日

佐々淳行氏が会長を務める日本刀剣界の混乱

 2000年に毎日新聞のスクープで明るみになった、当時の著名な考古学研究家による旧石器時代遺跡捏造事件。日本の前期・中期旧石器時代の遺跡だと発掘されていたものが、実は、その研究家によって事前に埋められていたことが発覚。これにより、日本の歴史教科書における旧石器時代に関する記述は大幅な訂正・抹消を余儀なくされた。それに匹敵する歴史の改ざんが、もし日本古来の美術工芸品である日本刀をめぐる世界で起きていたとしたら由々しき事態だ。

 現在、日本刀の保存、管理、補修、公開および歴史的な格付けをする唯一の公的機関は「財団法人 日本美術刀剣保存協会」である。設立されたのは第二次世界大戦後の1948年で、当時の日本では、歴史的に価値のある名刀の多くが、GHQによる没収や、戦後の混乱の中で散逸していた。そういった状況から日本刀を保護し後世に伝えるため、当時の文部大臣の認可によって設立されたのが同協会。現在、文化庁と文部科学省が監督官庁で、その会長を2006年8月から務めているのが元警察官僚で初代・内閣安全保障室長などを歴任した佐々淳行氏だ。

 同協会が現在、日本刀を格付けする際に用いている等級は、高い順に、「特別重要」「重要」「特別保存」「保存」。等級が一つ違えば、価格が一ケタ変わるといわれ、「特別保存」で数百万円の刀が、「重要」認定を受ければ数千万円に跳ね上がることも珍しくない。

 同協会は審査の厳正を期すため、2001年に『業務の改善措置結果について(報告)』という文書を文化庁に提出、その中には「審査の透明性を確保する上で、御指摘の通り役員、職員ならびにその親族と審査員を含め、それぞれの立場を考え、内部規律として審査申請ができないようにする~」と明記(※一部抜粋)されていた。しかも、その文書は、同協会の当時の専務理事が協会の公印を捺して提出したものである。にもかかわらず、同協会の刀剣審査にはその後も、協会の理事、職員やその親族、審査員などの内部者が申請することが恒常的に続いていた。それに関し、協会と付き合いの深い外部者からは、「身内に有利な不正審査が行われているのではないか」という疑念の声が多数上がっている。

 同協会は、「文化財保護法」に基づき毎年国から多額の補助金を受給し、すなわち税金を使っている以上、その運営については透明性が求められ、不正が行われているという「疑惑」を外部から持たれるような運営は直ちに是正しなければならない。にもかかわらず、その是正がいまだ行われていないのが現状である。

 そのような中、本稿の筆者の手元にこのほど、日本刀文化の保護・振興を目的に昨年12月に設立された「一般財団法人 日本刀文化振興協会」(以下、刀文協)の入会案内が届いた。案内書に書かれている設立趣意書には、「日本刀の良き伝統を継承しつつ、併せて時代に適応する日本刀の新しい価値を創造し、広く世界に向けて訴求し~」(※一部抜粋)と謳われている。設立メンバーを見ると、会長、相談役、顧問、評議員、理事・監事など約40名は、いずれも刀剣界の一人者と言っても差し支えない顔ぶれ。刀文協関係者に話を聞くと、「新団体は日本美術刀剣保存協会と喧嘩するために設立したわけではない。しかし、同協会の関係者や、刀剣愛好家の中には、同協会に愛想を尽かしている人が多いのも事実。今回の新団体の設立には、そういった背景もある。同協会は是正すべき点は是正すべきだ」とのこと。

 日本美術刀剣保存協会の会長を務める佐々淳行氏といえば、東大安田講堂事件、連合赤軍あさま山荘事件などで警察側の指揮を執った人物として知られる。その同氏が身を置く公的機関が現在、外部からの批判にさらされている時、同氏がこれまで培ってきた「危機管理能力」が、組織の改善に発揮されているとは言い難い。むしろ、外部からの批判に対し、自らの組織を防衛するために汲々としている感じさえ受ける。

2009年7月18日土曜日

戦地へ赴く者の心構え(6)砲撃下の罵声と声援

 戦場帰りのジャーナリストやカメラマンが、平和な日本で「危険なとこ行ってたんですね」といくら褒められたとしても、兵士に比べれば、ずっとずっと安全のところでぬくぬくとしている。敵陣に突入する命令を受けることもなければ、地雷原を走破しろと命じられることもない。物理的に戦場を離脱できる状況であれば、自分の意志で離脱できる。

 そんな中、カメラマンが、多くの兵士よりも、危険に身を晒す場面は、長時間の砲撃を受けているときである。砲撃が続いているとき、兵士たちは、無駄に損害を出すことを避けるために、地下壕や頑丈な建物の中に身を隠す。しかし、カメラマンは、砲撃のときにこそ、外を走り回って写真を撮る。砲撃が始まった時点で、地下壕の中にいると、「危ない」という理由で、外に出してくれないことがあるので、カメラマンはふだんも地下壕には入らないほうがいい。 

市街戦の場合、砲撃の中、カメラを抱えて走ってゆくと、あちこちの建物の中から「クレイジー!」と罵声が飛んだり「グッド、ラック!」と声援が飛んだりする。「あの教会までだ。教会を越えると撃たれるぞ」と教えてくれることもあった。戦闘下の人々のいろんな感情が飛び交う。インタビューに対しての落ち着いた喋りとは、まったく違う内容で、まったく違うトーンだ。これこそが、戦場の声である。これらの声には、声援にも罵声にも「ありがとう。生きてたらまた会おう」っと叫び返すと、罵声を放った人も、白い歯を見せて笑ってくれた。 

 この連載でも以前に書いたように、戦争国では、ジャーナリストは嫌われ者である。しかし、その嫌われ者も、「ちゃんと身を危険に晒してるクレイジーな奴」と見てもらえれば、それはそれはで心を開いてくれたりする。クロアチアで、「キミは、そんなに戦争が好きなのか」と訊かれたことがある。「あなたがたには申し訳ないけど、戦場のこの空気好きなんだ。絶世の美女より戦争のほうが興奮する」と答えたら、「よし」と、越境パトロール隊への従軍を許可されたことがある。この越境従軍で私は、14,5ミリ弾の跳弾を受け足を骨折してしまうので、なんだか、試された気もするのだが・・。 

 当事国の兵士たちにとって、戦争というのは、彼ら自身が一生懸命やっているものである。一生懸命にやっている仕事を「好きだ」といわれて、悪い気はしないのかもしれない。日本は敗戦国だから、戦争=絶対悪、という思想が強いが、世界のいろんな国では、戦争は必ずしも絶対悪ではない。特に、戦争遂行中の国では価値観は大きく違う。

 もっとも、こんな不注意な私でも、戦士でない側の人には「戦争が好きだ」なんて言わないようにしている。

2009年7月17日金曜日

『痛快! おんな組』で裁判員制度特集


 昨日、『痛快! おんな組』(朝日ニュースター)の収録があった。「裁判員制度」(後注)を特集するので、筆者がゲストで呼ばれた。写真は右から辛淑玉(シン・スゴ)さん(人材育成コンサルタント)、筆者、中山千夏さん(作家)、朴慶南(パク・キョンナム)さん(エッセイスト)。これに永六輔さん(ラジオタレント)と境分万純さん(ジャーナリスト)が加わり、議論が進められた。

 VTR出演は、単行本『報道されない警察とマスコミの腐敗 映画『ポチの告白』が暴いたもの』でもインタビューに応じ、現職裁判官でありながら、日本の刑事裁判の問題点を追及している寺西和史さん。「足利事件」(後注)で冤罪被害者となり、17年余りを獄中で過ごした菅家利和さん。『ポチの告白』がニューヨークで上映されたことに関連し、Japan Society 映画部の長澤綾さん。長澤さんは裁判員制度についてもコメントしている。

 最高裁判所や法務省の意向が反映された地上波の裁判員制度特集とは、ひと味もふた味も違う内容だ。初回放送は明日7月18日22時00分から。以降、数回、再放送が行われる。

 【裁判員制度】殺人など重大な犯罪で起訴された被告人の裁判を、裁判官3人と裁判員6人で審理する制度。裁判員は有権者からくじで選ばれる。有罪か無罪かは多数決で決定されるが、裁判官1人以上が賛成しないと、有罪にはできない。裁判員は刑の重さも判断する。2009年5月21日実施。

 【足利事件】1990年5月12日、栃木県足利市で女児(4歳)が行方不明となり、翌日、遺体で発見された。1991年12月2日、栃木県警は、女児の衣服に付着していた精液とDNA型が一致したとして、元幼稚園バス運転手の菅家利和氏を殺人容疑などで逮捕する。公判で菅家氏は犯行を否認し、導入直後のDNA鑑定の不備も露呈するが、宇都宮地裁(久保真人裁判長)の無期懲役判決(1993年7月7日)が、東京高裁判決(1996年5月9日、高木俊夫裁判長)、最高裁第2小法廷決定(2000年7月17日、亀山継夫裁判長)でも支持された。菅家氏は再審請求を提起。2008年2月13日、宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)は棄却するが、同年12月24日、東京高裁(田中康郎裁判長)は再度、DNA鑑定を行うことを決定した。2009年5月8日、東京高裁(矢村宏裁判長)は、再度のDNA鑑定の結果、女児の衣服に付着していた精液のDNA型は菅家氏のものと一致しないことを検察側と弁護側へ伝えた。同年6月4日、検察庁は菅家氏を釈放した。

2009年7月16日木曜日

神があなたを守っています


 ニューヨーク時間で7月11日14時15分から、Japan Society (写真)の劇場で、映画『ポチの告白』が上映された。「JAPAN CUTS」(日本映画祭)で第2回目の上映。

 今回、上映が終了すると、盛大な拍手がわき起こった。その瞬間、筆者の隣にいた高橋玄監督の顔がほころんだ。『ポチの告白』がアメリカの観客にも受け入れられることを確信したようだった。

 質疑応答で、日本の警察の組織についてきかれたので、筆者は「CIA(中央情報局)とFBI(連邦捜査局)と自治体警察が一緒になった職員28万人の強大な組織」と答えた。観客から「どうして権限が集中しないよう、分散しないのか」という声があがった。当然の疑問であり、日本の警察の腐敗が改まらない大きな要因だ。

 「警察を取材していて、危険な目にあったことはないのか」ともきかれたので、「取材中、警察官に殴られたり、尾行されたりした。警察の手先の暴力団に脅されたこともある。数年前、マンションの屋内駐車場の自家用車を破壊された。それが私のクルマだということは、(車庫証明を発行している)警察しか知らない(しかもクルマを買い替えてから1年以内)」と答えた。

 最後、会場出口で観客を見送っていると、年配の女性が握手を求めてきて、「神があなたを守っています」と言った。筆者が「神ですか……」ととまどっていると、女性は「本当です。いい仕事をしてください」と手に力を込めた。筆者は感謝しながら、ギュッと手を握り返した。

戦地へ赴く者の心構え(5)戦場への片想い

 東西冷戦時代の1988年、中米の内戦国ニカラグアで、ジャングル戦への従軍を繰り返していた。ジャングル戦は、戦闘行動に入って2~3時間で後悔するというくらい、日本人の軟弱な肉体には過酷だ。当時のニカラグア・サンディニスタ革命軍では、ジャーナリストも武装を求められていたので、カラシニカフAKM小銃と、弾薬120発、食器、食料、飲料水など、兵士と同じ武装とカメラ機材を持つことになる。3週間ジャングルに入ることもあるのだが、「もうイヤだ」と弱音を吐けば、後方支援部隊と合流したときや、交代のパトロール隊とすれ違ったときに帰らせてくれる。この「帰れる」という選択肢があるからこそ、帰らずに戦場に留まるためには、意志の強さが必要になってくる。 

 しかし、他国の戦争のために、強い意志や義務感なんて持てるわけない。私が、ジャングル行軍を続けられたのは、「戦場が好きだった」という一言に尽きる。1961年生まれの私にとって、現代戦の代名詞といえば、ベトナム戦争のジャングル戦である。つまり、ジャングル戦こそが、憧れの戦場なのだ。最初に行った戦場は、1987年9月のフィリピン、そして、1988年からは、中米のエルサルバドル、ニカラグア。アフガニスタンを選ばなかったのは、「戦場といえばジャングル戦」という夢憧れがあったからでもある。 

 この「根拠のないジャングル戦への片想い」がなければ、ニカラグア・サンディニスタ軍での3週間従軍2回には、耐えられなかったかもしれない。現実に、砂漠や策岳地帯の戦争には、そういう片想いがないためか、3週間も従軍したことが1度もない。ベトナム戦争の映画や兵士たちの体験の本を思い浮かべながら、「これが、俺が夢憧れて、日本の平和で豊かな生活を捨てて求めてきたジャングル戦の現場だ。本物のジャングル戦の中に自分はいるんだ」と言い聞かせることができたからこそ続いた。

 長いジャングル生活から首都に戻ると、下痢や痰、発熱などの病状が1ヶ月続いた。ジャングル行軍で作ってしまった手足の切り傷が膿んだ痛みも想像を越えるものだった。温室育ちの日本人の身体は本当に脆弱だ。それでも、またすぐにジャングル戦へ舞りたくて、うずうずしてくる。その後、戦場経験を積み重ねるに従って、これほど盲目な戦場への愛はトーンダウンしていくことになる。やはり、初恋は強烈だ。デビュー戦をどこにするかは大切である。楽しく戦争屋を長続きさせたいなら、デビュー戦で、あまり気の進まない戦場へ行かないほうがいいかもしれない。

2009年7月11日土曜日

戦地へ赴く者の心構え(4)与えられるもの

 日本人としてどんなに立派な人生を送ってきても、戦場に関しては経験値が低くて、最前線の兵隊の足手まといになってしまうのは避けられない。そんな中で良い人間関係を作るのは、戦場でも役に立ちそうな技能を持っていることが手っ取り早い。この「インシデンツ」に連載をしている安田純平さんは、料理の腕前で、イラクの軍施設へ入り込めた。このような特技に頼ると、人間関係の構築は、意外と簡単で意外とスムーズ、そして、ワールドワイドに通用する。

 私がニカラグアの最初の戦場で前面に出したのは、測量技術だった。日本の建設会社の3年間弱の経験で養った測量技術は、ニカラグアの最前線では、最新技術だった。日本が技術大国であることを実感できた場面だ。最初は、戦闘地域での鉄橋工事での測量をやり、これは、建設会社での基礎工事と求められるものが似ていたのでスムーズだった。その後は、戦闘部隊に、ジャングル戦で展開する部隊のフォーメーションを維持するための平板測量を導入したのだが、これが、なかなか試行錯誤が必要で簡単ではなかった。このような、試行錯誤から生まれた仲間意識は強い。それは、こういうやり取りのなかった戦場と、ノウハウ交換のあった戦場での違いか ら明確だった。

 学生を終えてすぐにジャーナリスト業に入ってしまうと、このような役立てる技能を何年たっても身につけられないこともある。取材ノウハウというのは、現場の兵隊の役に立てるノウハウであることが少ないからだ。しかし、たかだか2~3年間で習得できるノウハウでも、戦場ではありがたがられるものがる。それは、戦場の兵士には若者が多く、人生が未熟だからだ。測量ノウハウの提供は、その後、クロアチア軍、チェチェンゲリラ部隊などでも威力を発揮した。

 人間関係はどんなに綺麗ごとを言っても、ギブ・アンド・テイクである。自分は、戦場の彼らになにを与えられるのかは、日本を出る前から計算しておいたほうがいいだろう。金や物をあげるのもよいが、やはり、ノウハウを提供するほうが、敬意をもってもらえたような気がする。

エイミー・グッドマンさんと会談


 ニューヨーク時間で7月10日9時すぎ、高橋玄さん(映画『ポチの告白』監督・写真左)と中田圭さん(高橋さんのアシスタント・写真右から2人目)、筆者(写真右)で、ジャーナリストのエイミー・グッドマンさん(写真左から2人目)をニューヨークのDCTV(ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン)センターへ訪ねた。グッドマンさんが司会を務める非営利の独立系ニュース番組『デモクラシー・ナウ!』は北米650局以上で放送され、日本でも朝日ニュースターが放送している。詳細は「デモクラシー・ナウ! ジャパン」ホームページを参照のこと。

 高橋さんは映画『ポチの告白』の英語字幕付きのDVDをグッドマンさんへ手渡し、「日本では、警察や裁判所が国家ぐるみで腐敗しているが、それを新聞やテレビは報道しない」と説明した。筆者が「記者クラブが真実を報道することを妨害している」と補足すると、グッドマンさんは「そういうことはどこでもある。みんなで闘わないと。取材を続けて、腐敗を暴いて」と話した。

 グッドマンさんはパナソニックのノートパソコンを手にし、「使っていたら、キーが壊れた。それがテレビに映り、パナソニックの幹部が『商品のイメージが悪くなるから、新品を送るので、使ってほしい』と電話してきた」と笑った。改めて影響力の大きさを知らされた。

 写真撮影/津野敬子さん(DCTVディレクター)

映画『ポチの告白』がニューヨークで上映される


 ニューヨーク時間で7月9日19時すぎ、Japan Society の劇場で、映画『ポチの告白』が上映された。「JAPAN CUTS」(日本映画祭)で第1回目の上映。

 上映に先立ち、高橋玄監督(写真右)と筆者(同左)が英語で挨拶した。高橋監督は「この映画はJapan Society の担当者が気に入り、招待された。もしつまらなくても、彼女の責任」とジョークを飛ばし、観客を笑わせた。筆者は「私が取材した実際の事件が題材。日本の警察と司法、マスコミの腐敗を知ってもらいたい」と話した。我々の挨拶が終わると、大きな拍手が起こった。

 上映後、通訳付きで質疑応答が行われた。筆者へ寄せられた質問では、「日本の記者クラブの現状は?」というものがあり、「このような世界でも類を見ない情報談合組織は、みんながおかしいと思っている。どこか1つの役所か裁判所が、記者クラブを認めない方針を示せば、一気に変わる」と答えた。

 『ポチの告白』の第2回目の上映は、ニューヨーク時間で7月11日14時15分から行われる。

2009年7月10日金曜日

グラウンド・ゼロ


 ニューヨーク時間で7月9日14時すぎ、かつて世界貿易センタービルがそびえていた「グラウンド・ゼロ」(写真)を訪れた。ハイジャックされた旅客機による体当たり攻撃という衝撃の事件(2001年9月11日)から約8年。いまだに広範囲が工事中で、傷跡の深さがうかがい知れる。

 同行の高橋玄さん(映画『ポチの告白』監督)は、「こうして実際に来てみると、巨大なビルが2つもなくなるという、信じられない事件だったことがよくわかる」と話していた。各国の観光客もたくさん訪れており、それぞれの表情から犠牲者への哀悼と、このような事件が再び起こらないことを願う気持ちが感じられた。

2009年7月9日木曜日

戦地へ赴く者の心構え(3)バカになりきる

 戦争国へ行っても、戦闘のド真ん中へ突入できる人は少ない。当局の禁止ラインをなかなか越えられないのだ。戦闘後の破壊された町や難民の悲壮な顔、武器を構えた兵隊などを撮るのは、戦闘の中に入らなくても撮れるが、戦闘を経験しなければ戦場行った気になれないという人は、自分流の方法で、戦場突入のテンションを高める方法を持ったほうがいい。検問や報道規制などの禁止ラインは、所詮は人間のやることなので、どこかに隙がある。その隙を突くためには、精神的にテンション高めて、あるていど以上のバカになったほうがいい。

 東欧ユーゴスラビアのボスニア戦争当時。港町のスプリットは、ボスニアの戦場へ行く拠点になっていたため、私は、ここで、戦場突入前の気持ちの入れ替えをすることが多かった。戦場へ行く覚悟を決めた兵士は、金使いが荒くなるため、その金にあやかろうと、クロアチア美女たちが手ぐすねを引いている。つまり、戦場へ行く男が女にモテる刹那的な町なのだ。

 戦場へ突入する覚悟を決めた前夜には、このような美女美女ワールドでは、ケチケチせず、どっぷりと浸ったほうがいい。「戦場へ絶対突入するぞ」という気持ちになれるのだ。美女を誘って、ちょっとリッチなレストランなんかへ行って、「これから、戦場行くぜ、今宵が、俺の人生、最後の夜かも」なんて口説くと、戦争国の女は、いい感じで口説かれた対応してくれる。「戦場でのひと仕事終えたら、また会いに来るぜ」なんていうセリフを投げれば、もう、戦場へ突入できないままスプリットの町へ戻ることはできない。

 戦場にロマンを感じる男っていうのは、どう理由づけしようと、こういうふうにバカな生き物だ。だったら中途半端はやめて、徹底的にバカになったほうが、戦場へは辿り着ける。戦闘に遭遇できるかどうかは、私のような戦闘至上主義の実戦マニアでは、成功率3割台である。つまり、失敗のほうが多いので、失敗したあとのことも考えなければならない。1度や2度、突入失敗しても、スプリットの口説かれ美女たちの顔を思い浮かべれば「よっしゃ、もう1回、チャレンジだ」となれる。懲りない性格になれば、戦場への道は開ける。

ニューヨーク訪問


 7月9日と11日、映画『ポチの告白』が「JAPAN CUTS」(日本映画祭)で上映されるため、高橋玄監督(写真)とニューヨークに来ている。

 映画祭関係者は事前に『ポチの告白』を鑑賞しているが、「日本の警察やマスコミ、司法は、ここまで腐敗しているのか」と驚きの声があがっている。上映後、質疑応答が行われる予定なので、当地の人々にきちんと説明したい。

 前回、筆者がニューヨークに来たのは、2001年12月。旅客機がハイジャックされ、世界貿易センタービルへ突入した「9・11テロ事件」の3カ月後だ。ヘリコプターで現場付近へ行き、上空からながめると、摩天楼に大穴があいた感じだった。

 映画祭の行事の合間に、現場を再訪してみようと思う。

2009年7月6日月曜日

戦地へ赴く者の心構え(2)小型軽量化

 最近は、パソコンや通信機器、その他の電気製品をたくさん持って戦地へ行く人が増えているが、私が戦場屋をやっていたときの意識では、荷物は、徹底的に最小限化することを念頭に置いていた。交換レンズ、フィルムなどはできるかぎり減らし、着替えなどの生活用品は持っていかない。荷物が大きくなると、フットワークが悪くなり、戦闘現場へ突入できる機会を逸する。戦闘地域の近くでは、ホテル等に荷物を置いて出歩くようではイマイチだ。出かける際は、全ての荷物を常にもち歩く。町での兵隊との出会いがそのまま戦場突入に直結した経験は何度もある。市街戦のサラエボでも、突然発生した戦闘によってホテルに2日間戻れなくなり、廃墟の中で孤立したこともある。自分の荷物全てを持ち歩くことが苦になるような量は、多すぎということになる。

 写真のクォリティーに賭けるカメラマンは、機材をたくさん持っていきがちになる。しかし、戦場カメラマンは、クオリティーで勝負するのではなく、何を撮るか、どういう瞬間を撮るかでの勝負なのだ。その本来の勝負から逃げると、クオリティーで勝負などといい始めるが、それは、戦場屋としては逃げである。クオリティー勝負では、平和な町で撮るカメラマンやスタジオカメラマンには敵わない。

 そのように思いつつも、周囲のカメラマンは、どんどん機材が肥大化していて、自分だけが小型軽量への道を進んでいたので、自分が間違っているのかな、と感じたこともある。そんなとき、中版ペンタックス6×7を1台、標準レンズ1本だけで迫力写真を撮りつづけているカメラマンに出会った。彼は「機材が多いというのは、意志が弱いからだ」という。「ドキュメントやっていながら、予備のボディーあったほうがいい。フィルムは多いほうがいい。レンズもいろいろあったほうがいい、というのは、心配性の弱いヤツだ」と言い切ってくれた。この言葉によって、私は、荷物の軽量最小化へさらに自信を持てることになった。ちなみに、2003年イラク戦争でのバグダッド陥落時、私の全機材は、中型デジカメ1台、小型デジカメ1台、メモリーカード5枚(約500枚撮影分)、単3電池20本、充電器1台。カメラマンベストのポケットだけで全て収まる量だった。

 撮影というのは、戦場を伝える一つの手段でしかない。戦場屋にとって大切なことは、戦場へ行くことであり、撮影することは、副次的なことだ。人類の戦史、戦場報告体験記には、写真のないもののほうが圧倒的に多い。手段である「撮影」を重視するあまり、目的である「戦場突入」を犠牲にするのは本末転倒だ、と私はおもう。

2009年7月5日日曜日

裁判員制度広報用DVD


 「裁判員制度」(後注)が実施されることを受け、3月から法務省は全国約5000店のビデオレンタル店を通じ、裁判員制度広報用DVDを無料レンタルしている。タイトルは、実写版『裁判員制度――もしもあなたが選ばれたら――』(写真・以下、『裁判員制度』)とアニメ版『総務部総務課山口六平太 裁判員プロジェクトはじめます!』の2つがある。

 拙宅の近所のビデオレンタル店には、それぞれ3本ずつが置かれている。客の興味はひくようで、いつも数本が「貸出中」だ。先日、『裁判員制度』をレンタルしてみた。

 監督が中村雅俊、出演が中村以下、西村雅彦、加藤夏希、橘ユキコ、樋口浩二、川俣しのぶ、野沢太三、渋谷哲平、金子貴俊、川崎麻世というそうそうたる顔ぶれ。ドラマとして、一定の水準はクリアしていると期待していたが、そうではなかった。

 まず役者のセリフや演技が機械的だ。法務省が企画・製作しているので、それらが細かく指定されているのであろう。各人の持ち味が生かされていないというより、誰が出演しても変わらない印象を受ける。

 次に舞台装置が安物すぎる。メインとなる法廷が講堂にパイプいすを並べてつくられているのは、ちょっと驚いた。裁判官や裁判員は、「非常口」の表示灯があるドアから出入りするのだ。

 ストーリーはひどい。市民は裁判員に選任されることを逃れようとし、もし選任されても、まじめに評議を行わない無責任な存在として描かれている。それを裁判官がいさめて、判決へ導く。法務官僚が国民を見下している様子がありありだ。

 殺人未遂事件で、被告・弁護側は「包丁で被害者を脅し、もみ合ううちに、包丁が被害者の腹部に刺さった」と主張するが、検察側は「殺意を持ち、いきなり刺した」と主張する。裁判員は「自分が包丁を向けられたら、殺意を感じる」として、殺人未遂罪の成立を認める。法務官僚が期待する「国民のみなさんの視点、感覚が、裁判の内容に反映される」(法務省ホームページより)というのは、こういうことらしい。

 しかし、法務官僚が思うほど、市民は無責任ではないし、思慮分別がないわけでもない。「有罪率99・9%」といわれる日本の刑事裁判の在り方が、裁判員制度実施で変化するのは間違いない。

 【裁判員制度】殺人など重大な犯罪で起訴された被告人の裁判を、裁判官3人と裁判員6人で審理する制度。裁判員は有権者からくじで選ばれる。有罪か無罪かは多数決で決定されるが、裁判官1人以上が賛成しないと、有罪にはできない。裁判員は刑の重さも判断する。2009年5月21日実施。

2009年7月4日土曜日

戦地へ赴く者の心構え(1)現地の嫌われ者

 外国の戦場へ、出かけてゆく方法なり職業などには、いくつかある。戦場ジャーナリストだけではなく、出征兵士として、NGOなどの援助団体としてなどなど。もちろん企業戦士として、個人的な商売として、そして、旅人としてなど、それは、各人の発想で、どのやり方を採ってもいいのかもしれない。

 そして、これらのどの方法にも、共通しているのは、その戦争国の人たちから、それほど歓迎されているわけではないということである。この「歓迎されていない」という点が、観光やその他ビジネスなどで行く場合とは大きく異なる。援助目的だとしても、その援助対象組織と敵対している勢力から見れば嬉しくない行為だ。

 ジャーナリストは「自分の取材は正義であり現地の人のためになる」と勘違いしていることがあるが、ジャーナリストの動きによって、現地の人が犠牲になるケースは多い。雇ったコーディネーターやドライバーが巻き添え死するケース、インタビューに応じて身元の割れた現地人が後日、秘密警察に殺されるケース、具体的な事例を挙げる必要もないくらい頻発している。

 他人の犠牲の上に自分の「戦場突入」という願望が満たされていることを意識できないと、自然と横柄な態度になってしまう。高額機材を持って車をチャーターしてチャッチャと動いていれば、普通の態度のつもりでいても戦乱下の人々から見れば、横柄な振る舞いということになるだろう。言葉があまり通じない異国の地では、言葉が通じないがゆえに、人々は態度や振る舞いから、相手のホンネを見ようとする。

 そこで、どのように相手と心を分かち合う仲にもっていけるかがカギなのだが、「私の目的は、あなたがたの犠牲の上になりたってます」という態度や言葉を何度も出せば、おのずと道は開けやすい。その一方で、「オレ様はジャーナリスト様だぞ」と偉そうに威圧したり、実弾(現金)をバラ撒く方法で強行突破するほうが良い結果をもたらすこともある。信頼関係など築き上げられないと最初から諦めるなら、後者の方法のほうが手っ取り早いともいえる。

 このように、戦場突入の方法は、その場その場の状況で違い、臨機応変と人間力の腕試しみたいなところなのだが、基本の基本にあるのは「ジャーナリストは戦争国では、嫌われてる」ということである。それがわかっていれば、道は開けるし危険の回避もしやすい。そして、相手の嘘に騙される率も減り、自分が嫌な思いをすることも少なくできる。戦争で食っていこうとおもったら、良い人になろうとしないほうがいいとおもう。

2009年7月2日木曜日

安藤隆春新警察庁長官の消せない過去

 6月26日、安藤隆春氏が警察庁次長から同長官へ昇格した。安藤氏は1972年採用の警察庁キャリア。1995年10月、群馬県警前橋署生活安全課員らが暴力団の犯罪を見逃すなど、便宜をはかる見返りとして、拳銃の提供を受け、捜査で押収したように偽装していた事件が発覚したときの同県警本部長。

 銃刀法違反などで起訴された元前橋署生活安全課員(懲戒免職)に対し、1996年3月14日、前橋地裁(奥林潔裁判長)は懲役2年、執行猶予5年の判決を言い渡した(確定)。そのなかで「部下あるいは同僚の違法ないし不当な扱いを見過ごしてきた警察内部の体質の問題性も厳しく指摘せざるをえない」と批判している。

 しかし、筆者が『週刊文春』(1996年11月21日号)に記事を執筆するため、安藤氏(当時、橋本龍太郎総理大臣秘書官)を取材すると、「そちらの見方(組織の問題点を個人に押しつけた)は我々の考えと違います」と答えた。これまで取材してきた中央省庁キャリアと比較しても、とりわけ官僚的な言動が印象に残る。

 安藤氏といえば、警察庁長官官房長時代の2004年11月4日、参議院内閣委員会で神本美恵子議員(民主党)と以下の質疑応答を行ったことでも知られる。

神本議員 安藤官房長、初めて今日やりとりさせていただいていますけれども、これまでのご経験で餞別というようなことを受け取られたことありますか、個人のことで。

安藤官房長 餞別制度につきましては、すでに平成8年か9年ですか、警察内部で、それ以前からそういうものをなくすようにということは徹底を図っておりましたが、平成8年や9年の通達で完全にそれを徹底するということで、それ以後はないものと私は承知しております。個人的な経験ということでありますが、その以前、昔、ずっと以前に、これはまあ警察だけじゃなくて、そういうことで慣行として個人的なやりとりのなかでということで受け取ったということは昔あったと記憶しております。

 単行本『報道されない警察とマスコミの腐敗 映画『ポチの告白』が暴いたもの』で、原田宏二・元北海道警釧路方面本部長は、「警察の裏ガネは、異動の際の餞別や部内の懇親会費、冠婚葬祭費、タクシーチケットの支払い、上級官庁や他官庁の接待費、議会対策などに使われており」、自分が「署長や防犯部長のポストのときは、餞別は総額200~300万円程度だったと思います」と打ち明け、「安藤官房長が『餞別制度につきましては…』と口をすべらせたとおり、裏ガネも餞別も『制度』『システム』なのです」と話している。

 安藤氏が、警察と暴力団との癒着や警察の裏ガネづくりという問題を、なくす方向ではなく隠蔽する方向へ進むことは、同氏の過去の言動からして十分予想される。

2009年7月1日水曜日

警察が犯人を決めるから、裁判員はいらない(3)


 現在、警察は全国指名手配してる被疑者(マスコミは「容疑者」と表記する)を「犯人」と断定し、ポスターやホームページで情報提供を呼びかけている(写真は警視庁ホームページより)。しかし、判例で「『犯人』とは有罪の言渡しを受けた者を指す」とされるとおり、被疑者は「犯人」ではない。

 この点について、警察庁に質問すると、「ポスターは広く国民にわかりやすい内容とすることを念頭に置いて作成しているものと承知しています」(広報室)という回答があった。

 とはいえ、警察が「犯人」として全国指名手配してる被疑者のなかには、「佐藤梢さん殺害事件」(後注)の小原勝幸氏のように、冤罪の可能性が高い者もいる。どう考えても、警察が被疑者を「犯人」扱いするのは越権行為であり、人権侵害だ。

 近年、最高裁判所は平木正洋・刑事局総括参事官(裁判官)が中心となり、マスコミに対し、いわゆる「犯人視報道」を見直すよう求めている。「裁判員制度」(後注)が導入され、「裁判員に予断や偏見を与えると、公正な裁判が行えない」というのである。

 しかし、これは額面どおり受け取れない。そもそも、日本の刑事裁判は「有罪率99・9%」といわれており、裁判員が「犯人視報道」の影響を受けても、どうということはない。もともと、「公正な裁判」など行われていないのだ。

 最高裁判所は裁判員制度導入を奇貨とし、報道を規制しようとしている。「裁判員に予断や偏見を与える」という意味では、「犯人視報道」のみならず「冤罪視報道」も許されない。つまり、最高裁判所は「マスコミは、裁判所が認定する事実だけ報道すればいい」と考えているわけである。

 警察が指名手配被疑者を「犯人」扱いしていることについて、最高裁判所に見解を尋ねると、「コメントする立場にはない」(広報課)という回答があった。マスコミの「『犯人視』報道」は問題にするが、警察の「『犯人』扱い」は問題にしない。最高裁判所の意図は明白だ。

 【佐藤梢さん殺害事件】2008年7月1日、岩手県下閉伊郡川井村で佐藤梢さん(当時17歳)の遺体が発見された。同月29日、警察は佐藤さんの知人の小原勝幸氏(当時28歳)を殺人容疑で全国指名手配。10月31日には、警察庁が小原氏の検挙に結びつく情報の提供者に対して、上限100万円の捜査特別報奨金を支払うことを公告した。一方、小原氏は恐喝と傷害、銃刀法違反事件の被害者として警察へ被害届を提出していた。その捜査が大詰めを迎えたとき、佐藤さんが殺害され、小原氏が行方不明となった。2009年6月19日、小原氏の家族らは日本弁護士連合会に対し、「小原勝幸を殺人事件の犯人として指名手配することを中止すること」などを警察へ働きかけるよう、人権救済の申し立てを行った。

 【裁判員制度】殺人など重大な犯罪で起訴された被告人の裁判を、裁判官3人と裁判員6人で審理する制度。裁判員は有権者からくじで選ばれる。有罪か無罪かは多数決で決定されるが、裁判官1人以上が賛成しないと、有罪にはできない。裁判員は刑の重さも判断する。2009年5月21日実施。