2009年7月16日木曜日

戦地へ赴く者の心構え(5)戦場への片想い

 東西冷戦時代の1988年、中米の内戦国ニカラグアで、ジャングル戦への従軍を繰り返していた。ジャングル戦は、戦闘行動に入って2~3時間で後悔するというくらい、日本人の軟弱な肉体には過酷だ。当時のニカラグア・サンディニスタ革命軍では、ジャーナリストも武装を求められていたので、カラシニカフAKM小銃と、弾薬120発、食器、食料、飲料水など、兵士と同じ武装とカメラ機材を持つことになる。3週間ジャングルに入ることもあるのだが、「もうイヤだ」と弱音を吐けば、後方支援部隊と合流したときや、交代のパトロール隊とすれ違ったときに帰らせてくれる。この「帰れる」という選択肢があるからこそ、帰らずに戦場に留まるためには、意志の強さが必要になってくる。 

 しかし、他国の戦争のために、強い意志や義務感なんて持てるわけない。私が、ジャングル行軍を続けられたのは、「戦場が好きだった」という一言に尽きる。1961年生まれの私にとって、現代戦の代名詞といえば、ベトナム戦争のジャングル戦である。つまり、ジャングル戦こそが、憧れの戦場なのだ。最初に行った戦場は、1987年9月のフィリピン、そして、1988年からは、中米のエルサルバドル、ニカラグア。アフガニスタンを選ばなかったのは、「戦場といえばジャングル戦」という夢憧れがあったからでもある。 

 この「根拠のないジャングル戦への片想い」がなければ、ニカラグア・サンディニスタ軍での3週間従軍2回には、耐えられなかったかもしれない。現実に、砂漠や策岳地帯の戦争には、そういう片想いがないためか、3週間も従軍したことが1度もない。ベトナム戦争の映画や兵士たちの体験の本を思い浮かべながら、「これが、俺が夢憧れて、日本の平和で豊かな生活を捨てて求めてきたジャングル戦の現場だ。本物のジャングル戦の中に自分はいるんだ」と言い聞かせることができたからこそ続いた。

 長いジャングル生活から首都に戻ると、下痢や痰、発熱などの病状が1ヶ月続いた。ジャングル行軍で作ってしまった手足の切り傷が膿んだ痛みも想像を越えるものだった。温室育ちの日本人の身体は本当に脆弱だ。それでも、またすぐにジャングル戦へ舞りたくて、うずうずしてくる。その後、戦場経験を積み重ねるに従って、これほど盲目な戦場への愛はトーンダウンしていくことになる。やはり、初恋は強烈だ。デビュー戦をどこにするかは大切である。楽しく戦争屋を長続きさせたいなら、デビュー戦で、あまり気の進まない戦場へ行かないほうがいいかもしれない。

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