2009年8月31日月曜日

今日ダイアナ命日。事故現場で見えた疑惑


 今日8月31日は、英国のチャールズ皇太子の元妃ダイアナがパリで死亡してから12年目。添付写真、本記事の筆者が立つのは、ダイアナが「事故」を起こしたトンネル。ダイアナの事故死をめぐっては、さまざまな陰謀説が流布しているが、それらの多くは現場取材に基づいたものではなく、噂の寄せ集めにしかすぎない。取材の基本は、まずは現場に立つこと。筆者はパリに行く度に、ダイアナが最後に走ったのと同じコースを、同じ時間帯にタクシーで、猛スピードで走ってもらう。

 ダイアナを乗せたメルセデスはあの日、深夜12時を少し回った頃、リッツ・ホテルを出発。恋人だったドディ・アルファイド氏、ボディ・ガードのトレーバー・リース・ジョーンズ氏が一緒で、運転手はアンリ・ポール氏だった。メルセデスはいくつかの交差点を曲がると、コンコルド広場を過ぎ、トンネルへと続く約2kmの直線道路に出る。トンネルは、アルマ広場という広場の下を潜るように設けられている。ダイアナの乗ったメルセデスは、カメラマンたちに追いかけられ、それを振り切ろうとスピードを上げ、時速200キロ近いスピードでこのトンネルに飛び込み、13本目の柱に激突したというのがフランス警察当局の公式見解。
 しかし、時速200㌔近いスピードでこのトンネルに飛び込もうと思えば、少なくともトンネルに入る200~300メートル手前から加速しなければならず、この時間帯のこの道路は通行量が多く、現場を何度も走った筆者の私見としては、もし本当に時速200㌔でこのトンネルに飛び込もうとするならばトンネルに入るまでに事故を起こさないほうが難しい。事故を起こさずにトンネルまで辿りつけたとしたら、よほどのドライビングテクニックを持った運転手か、たまたま事故のあった日のあの時間帯だけ通行車両が少なかったかのどちらかだ。そう考えれば、ダイアナの事故は、スピードの出しすぎによる激突ではなく、別の形の事故だったかもしれない。 

 ダイアナの事故死に、陰謀があったかどうかは分からない。しかし、現場を繰り返し通るだけでも、警察当局の見解に「ハテナ?」と思えることも出てくる。

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