2009年6月28日日曜日

イラク戦場出稼ぎ労働者(1)戦場で聞く音



 私は2007年5月から約9カ月間、イラクで料理人をしていた。軍事や復興事業の大部分を民間企業に委託しているいわゆる「戦争の民営化」の現場を取材するために、自ら労働者になってみたという話だが、爆弾の降り注ぐ中で、職場の同僚という対等の立場でイラク人と接した日々は、「記者」ではできなかった新鮮な体験の連続だった。

 職場は、イラク中南部の都市ディワニヤにあるイラク軍基地。基地建設をしている米国系建設会社と、それを警護する英国系民間軍事会社を相手に食事提供をしている米国企業のスタッフとして現場入りした。

 同基地は、市街地から数キロ程度で、夕方になれば街の灯がはっきりと見える距離。イラク中南部の治安維持を担っていたポーランド軍を中心とした多国籍軍の基地キャンプエコーに隣接している。当時、市内の一部はイスラム教シーア派民兵組織が支配しており、多国籍軍との戦闘がたびたび発生し、キャンプエコーには連日のように迫撃砲やロケット砲の弾が降り注いだ。ほとんどが日暮れから明け方にかけての時間帯だ。

 私の職場はイラク軍基地内の40メートル四方程度の区画にあり、計20人ほどいる労働者は20棟ほど並んだプレハブコンテナに分散して寝泊まりしていた。着弾点はほとんどが数百メートルから1キロほど離れた場所だったが、コンテナの薄っぺらい壁はその衝撃を素直に反映して、熟睡していても、巨大なハンマーで殴りつけたかのような振動と音によってそのつどたたき起こされた。1日の休みもなく働いているのに睡眠も邪魔され、日々、心身ともに疲弊していくのを感じていた。

 職場から200メートルほどの地点に落ちたこともあった。朝6時ころ、遠くで響いていた爆音でベッドの上でなんとなく目覚めていたところへ、頭上で「プウーン」と爆弾の飛来音が聞こえたときは、「あっ」と息を詰まらせるしかなかった。一瞬ののちに地面から突き上げられるかのような衝撃と爆音におそわれたが、それは無事にすんだ瞬間でもあった。

 0・5秒ほどの間に高音から低音へ1オクターブほど一気に下がった飛来音の聞こえ方を考えると、近づいてきていた爆弾が頭上を通り過ぎた瞬間だったのだろう。超音速で飛ぶ音源が近づいてくるだけならば、音階が急速に下がることはないはずだ。本当に頭上に降ってくる場合、こうしたドップラー効果のような聞こえ方はせず、「シュォォオオオとでかい音が近づいてくる感じになる」とネパール人の警備員が教えてくれた。そもそも、弾は音よりも速い速度で飛んでくるので、飛来音を聞く前に炸裂するという。映画や劇画でよく出てくる「プウーン」という飛来音は、実は着弾点から少し離れた場所で聞いている音ということになる。

 着弾点が近ければ破片に当たる危険性が高い。「プウーンなら近くないから気にしないでいい。シュォォオなら、着弾後の破片を避けるために、一瞬のうちにでもできる限り地面を掘って伏せろ。ただし、地面からの衝撃で内臓を痛めないよう若干胴体を浮かせろ。弾が直撃だったらしょうがないと思え」と警備員に指導された。戦闘地域や着弾点までの距離などを把握し、安全対策につなげるためにも音の聞き分けは重要である。

 戦争によって街全体が壊滅するということは現代ではそう多くはないので、現地住民でも着弾点から数百メートル以上離れている人がほとんどだ。基地が攻撃された場合でも、全体が壊滅するわけではないので、戦場労働者についても同じことが言える。それでも、爆弾が飛び、着弾する音と衝撃に驚かされ、眠りを妨げられ、いつ弾や破片が直撃するか分からないという恐怖によって心身ともにすり減らされる。その意味で、着弾点から数百メートル離れている場所であっても、そこは戦争の現場であると言っていいだろう。

 ただ、着弾の“本当の”現場にいた人の証言を彼らのいる病院などで聞くと、彼らと、危険性のあまりなかった場所にいたこちらとでは、通り抜けた現実に決定的な違いがあることを認識させられる。境遇の違いなども考えれば、同じ体験をしたところで心情を理解しきれるものでもなく、そこで大切になってくるのはその隔たりを埋める想像力なのだろう。しかし、こうした音を聞くとき、現場により近い場所を経験していることに興奮しつつも、この隔たりという現実もより鮮明になって、いらだちのようなものが胸のあたりを渦巻くのだ。この隔たりをどうすれば超えられるのか。死ぬ気もけがをする気もさらさらないが、現場で考えているのはいつもこのことである。

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