2009年6月26日金曜日

今、テレビ朝日で平塚八兵衛のなぜ

 テレビ朝日開局50周年記念ドラマとして、先週2夜連続で、『刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史』が放送された。実在した警察官、平塚八兵衛の軌跡を描いたドラマで、平塚役を俳優・渡辺謙が演じていた。見方によっては、とても危ないドラマだった。

 原作はドラマと同名で、新潮文庫から、佐々木嘉信著・産経新聞社編で出ている。帝銀事件(1947年)、吉展ちゃん誘拐事件(1963年)など、「昭和」の大事件に捜査員として携わった平塚の回想談を、彼の口調そのままに再現している。その中で、随所に、彼が自分の独善的な「思い」を、あたかも絶対的な「正義」であるがごとく語っている場面が見受けられる。

 たとえば、帝銀事件の章では、彼の上司が言った「平沢の執行を見届けるまで死ねねえ」(P92)という言葉を肯定的に紹介している。しかし、これは捜査に関わった警察官=公務員が、公の刊行物に載せるにはあまりにも軽率な発言だ。確かに平沢貞通は、形式的には「帝銀事件」で「死刑判決」を受けた。しかし、平沢が「犯人」にされたのは、状況証拠の積み重ねでしかない。

 判決を受けた後、平沢が本当に犯人か否か――、様々な研究家・著述家が多角的に検証し、他に真犯人がいる可能性があるという「世論」も大きくなった。それだけに、上司の言葉は、平沢が犯人か否か最終的な答えが分かっていない段階で、絶対に彼が犯人であるという「思い込み」でしかなく、それを公の刊行物に載せることは、「思い込み」の押し付けでしかない。もし、当時の捜査や取調べがその姿勢で行われていたとしたら、帝銀事件の「判決」は異議を差し挟まれても仕方がない。

 一方、吉展ちゃん事件は最終的に、遺体の遺棄場所という「犯人にしか知りえない情報」の自白があった。しかし、同事件の章を読むと、平塚刑事はやはり、自分の推理が正しいという前提で裏取りを進めていた回想が随所に出てくる。

 いずれにせよ、この2つの事件があった時代は、状況証拠の積み上げで「犯人」を逮捕、自白を強要した事件が多かった。それゆえ、徳島ラジオ商殺人事件、免田事件など、のちに再審となり、冤罪と認定されたケースもあった。平塚八兵衛はまさにその時代、「落としの八兵衛」という異名をとり、自白させるのが上手いという取調べ方法を体現した人物である。

 テレビ朝日開局50周年記念ドラマでは、その彼が英雄的に描かれ、捜査・取調べ手法についても全く迷いのない人物として演じられていた。裁判員裁判の開始を控え、これまで以上に警察の慎重な捜査や取調べが求められている今、本来その警鐘を鳴らすべきマスメディアが、警察の強引な捜査・取調べを体現した人物を2夜にわたって英雄的に描く、そこに強烈な違和感を覚えた。

0 件のコメント:

コメントを投稿