2009年6月8日月曜日

栃木リンチ殺人事件

 「足利事件」(後注)の報道を見ていると、どうしても、「栃木リンチ殺人事件」が思い出される。どちらも栃木県警察本部の「不祥事」というより「犯罪」といえるものだ。

 【栃木リンチ殺人事件】1999年12月2日、日産自動車栃木工場に勤める須藤正和君(当時19歳)が少年4人に殺害された。須藤君は数カ月前から少年らに軟禁され、凄惨なリンチを加えられたうえで、700万円以上も脅し取られていた。栃木県警が須藤君の両親の捜査要請を無視し続けた結果だった。2001年4月23日、両親は栃木県と犯人3人、その親5人に対して、損害賠償約1億5300万円を請求する訴訟を提起した。2006年4月12日、宇都宮地方裁判所(柴田秀裁判長)は栃木県警の捜査怠慢と須藤君の死亡との因果関係を認め、栃木県などに約1億1300万円の支払いを命じる判決を言い渡した。しかし、2007年3月28日、東京高等裁判所(富越和厚裁判長)は「被害者(須藤君)にも過失5割があった」「仮に捜査怠慢がなくても、被害者を救出できた可能性は3割」として、損害賠償金額を1100万円へ大幅に減額した。須藤君の父親(2002年9月に母親が死亡)は上告したが、2009年3月13日、最高裁判所第2小法廷(古田佑紀裁判長)が棄却。

 栃木リンチ殺人事件を熱心に取材し、真相を明らかにしようとしていたのが、元警視庁巡査部長でジャーナリストの黒木昭雄氏である。その成果は単行本『栃木リンチ殺人事件』(草思社)にまとめられている。

 拙著『報道されない警察とマスコミの腐敗 映画『ポチの告白』が暴いたもの』でも、黒木氏は栃木リンチ殺人事件に言及する。

 「その後の取材で、県警は早い段階で犯人を特定していたことがわかりました。(中略)警察が適正な捜査をしていれば、正和君が殺されることはなかった」

 現在、黒木氏が取り組む「佐藤梢さん殺害事件」(既報〈たった一人の捜査本部〉参照)も、栃木リンチ殺人事件と似たような背景がうかがえる。恐喝と傷害、銃刀法違反事件の被害者として警察へ被害届を提出していた小原勝幸氏が行方不明となり、その直前に同氏の知人の佐藤さんが遺体で発見された。警察は、小原氏が佐藤さんを殺害したとして全国指名手配するが、黒木氏は、小原氏も佐藤さんも上記事件に絡み、同一犯に殺害されたとみる。

 昨日、黒木氏は佐藤さん殺害事件に対する思いを動画で公開し、情報提供も呼びかけた。



 【足利事件】1990年5月12日、栃木県足利市で女児(4歳)が行方不明となり、翌日、遺体で発見された。1991年12月2日、栃木県警は、女児の衣服に付着していた精液とDNA型が一致したとして、元幼稚園バス運転手の菅家利和氏を殺人容疑などで逮捕する。公判で菅家氏は犯行を否認し、導入直後のDNA鑑定の不備も露呈するが、宇都宮地裁(久保真人裁判長)の無期懲役判決(1993年7月7日)が、東京高裁判決(1996年5月9日、高木俊夫裁判長)、最高裁第2小法廷決定(2000年7月17日、亀山継夫裁判長)でも支持された。菅家氏は再審請求を提起。2008年2月13日、宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)は棄却するが、同年12月24日、東京高裁(田中康郎裁判長)は再度、DNA鑑定を行うことを決定した。2009年5月8日、東京高裁(矢村宏裁判長)は、再度のDNA鑑定の結果、女児の衣服に付着していた精液のDNA型は菅家氏のものと一致しないことを検察側と弁護側へ伝えた。同年6月4日、検察庁は菅家氏を釈放した。

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