2009年6月23日火曜日

『それでもボクはやってない』再見

 通勤電車で痴漢に間違われた青年が逮捕され、無実を訴え、裁判を争う映画、『それでもボクはやってない』(以下、『それボク』)。周防正行監督が3年以上も取材して、撮影が開始されたという意欲作。「有罪率99・9%」といわれる日本の刑事裁判の実態を丁寧に描き出す。法曹関係者やマスコミ関係者が見れば、実在の裁判官や実際の事件をモデルにしていることがわかる。2007年1月公開。

 映画『ポチの告白』も実話に基づき、警察や司法の実態を暴くものなので、しばしば『それボク』と比較される。単行本『報道されない警察とマスコミの腐敗 映画『ポチの告白』が暴いたもの』(以下、単行本)で、高橋玄監督は『それボク』について、こう語っている。

 「『それでもボクはやってない』は、予算が潤沢で、微に入り細をうがつ描写ができてうらやましかった。しかも、全国東宝系ロードショーで、たくさんの人へメッセージを伝えられました。ただし、周防正行監督が使命感に燃えてつくったのはわかりますし、警察や検察、裁判所の欺瞞も突いているのですが、バランスがとれているというか、標的が定まっていなくて、どこもきちんと叩けていない気がします」

 4月14日、最高裁判所第3小法廷(田原睦夫裁判長)は、電車内で女子高生に痴漢をしたとして、第1審、第2審で懲役1年10月の実刑判決を言い渡されていた名倉正博・防衛医科大学校教授に対し、「女子高生の供述に疑問がある」として、逆転無罪判決を言い渡した。6月11日には、東京高等裁判所(阿部文洋裁判長)も、痴漢で懲役1年4月の実刑判決を言い渡されていたアルバイト・花田泰氏に対し、「(客観的な)証拠がない」として、逆転無罪判決を言い渡した。

 このような報道が続いたことから、先日、改めて『それボク』をレンタルDVDで見てみた。

 留置場や法廷などの舞台はカネをかけてつくり込まれており、本物と見まがうばかり。そこに勤務する警察官や裁判官の言葉づかいやしぐさもよく研究されていて、役者もうまく演じている。特に法廷で弁護士が陳述しているとき、裁判官が居眠りしているのは、筆者も取材で見かけることがあり、なかなか秀逸だ。はじめから有罪となることが99・9%決まっているので、ぶっちゃけ被告人や弁護士の陳述など、聞く必要がないのである。

 映画全体の流れでいえば、逮捕、勾留で長期間、警察や検察の取り調べを受け、肉体的、精神的に追い詰められて、自白を強要される様子や、法廷でいくら無実を訴えても、警察官は偽証をし、検察官は被告人に有利な証拠を隠蔽し、裁判官は独断と偏見で有罪判決を言い渡す様子が、まるで「冤罪のつくられ方」というビデオ教材のごとく進んでいく。5月21日から「裁判員制度」(後注)も実施されており、未見の国民には一刻も早く鑑賞してもらいたい映画だ。

 ただし、警察官や検察官、裁判官が無理やり被告人を有罪へ導く動機や背景が描かれていない。むしろ「ゆきすぎた正義感」が原因と誤解させるシーンもある。実際は、警察官には検挙するノルマ、検察官には起訴するノルマ、裁判官には判決するノルマが課せられており、それを達成して出世したいなどという私利私欲が強くうかがわれる。「どこもきちんと叩けていない気がします」と『ポチの告白』の高橋監督が指摘するのは、それぞれの組織の都合やそこに所属する個人の人間臭い一面を描いていないからだろう。

 弁護士の描き方にも違和感がある。筆者は単行本で、こう指摘している。

 「『それでもボクはやってない』は、弁護士が正義の味方に描かれすぎていますよ。実際は、『ポチの告白』に登場する深沢弁護士のように、ビジネスライクというか、あくどいぐらいです」

 『それボク』では、勾留段階で私選弁護士が2人もつき、12回も公判を重ねて、徹底抗戦する。無実を証明するため、電車内の痴漢発生当時の再現ビデオを製作したり、駅頭で目撃者を探すビラを配ったりする。弁護士報酬と経費で数百万円はかかると推測されるが、その点には触れられていない。

 【裁判員制度】殺人など重大な犯罪で起訴された被告人の裁判を、裁判官3人と裁判員6人で審理する制度。裁判員は有権者からくじで選ばれる。有罪か無罪かは多数決で決定されるが、裁判官1人以上が賛成しないと、有罪にはできない。裁判員は刑の重さも判断する。

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